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大阪府流域下水道事業・経営戦略への期待 柴田高男          
南部流域下水道事務所の旧庁舎 川田祐章
水環境保全センター 長谷川明巧
東部流域下水道事務所開設50周年イベントに参加して 柴田高男
東部下水50年の中での8年と独り言 山本正
東部流域下水道事務所開設50年に寄せて 手島文隆
大阪で開催・下水道展 司馬鷹
梅雨・雑感 司馬鷹




下水道ボランティア研修から考える~大阪府流域下水道事業・経営戦略への期待~   柴田 高男
 
     
 大阪府流域下水道事業の維持管理体制は一部事務組合方式で始まり、平成20年度に大阪府一体方式となり、平成30年度には地方公営企業法を適用し、計画的合理的な運営を進めるために「経営戦略」が策定された。50年を経た大阪府流域下水道はこれからどうなっていくのだろうかと日頃から関心を持っていたところ平成31年1月15日下水道ボランティア会員向けに「下水道行政の現状」の研修会が開催された。
 「経営戦略と今後の取り組み」について下水道室講師曰く― 『企業会計への移行による「見える化」で課題が明確になった。公営企業経営の継続は・支出を制し(知恵を絞り・経費節約)・見合った収入を確保(府・市・受益者の負担の詰め・自主財源の創出)することである。安定した経営に向けて取り組みを推進していく。ここからが「経営戦略」実現への厳しい実践の始まりである 』―が要旨と受け取った。これまでに加えてさらに厳しい取り組みが求められ、具体的な実行計画のもと組織一体となった取り組みを見守っていきたい。
 『経営戦略』に謳っている『人材育成と技術の継承』のところで、「人材の育成については全般的な知識の習得と経営感覚を磨くためにOJTの強化、外部機関研修等により能力向上を図る。さらに技術の継承は知識、技術の共有化と適切な人材を確保し継承していくこととしている。職階ごとに求められる能力、意識についても明示している」
 私はこのことが最重要課題と考えて特に注目している。
 職員全員参加型で実践する戦略的なOJT活動の強化により、企業職員としての意識が高まり、さらに組織(下水道室・事務所・管理センター)が一体となって経営的課題に取り組むTQM活動により経営感覚が浸透してくるものと考える。
 具体的な厳しい実行計画を実践することで『経営戦略』を実現されることを期待しながら見守って行きたい。

   自ら活動して他を動かしむるは水なり
   常に自己の進路を求めてやまざるは水なり
   障害に遭って激しくその勢力を百倍しうるは水なり 水五則より  平成31年2月15日 柴田 高男
 


南部流域下水道事務所の旧庁舎   川田 祐章
 
     
 当会会員1年目の川田です。
 大阪府在職中の大部分を下水道事業に携わりました。なかでも、南部流域下水道事務所(南部下水)には3度通算9年間配属されました。南部下水旧庁舎が撤去されて10年が経過し節目になることもあり、私の記憶をたどりながら旧庁舎について少し振り返ってみます。
 初期の南部下水は、私の入庁10年前の昭和48年度に松原市上田6丁目に設置されていましたが、昭和50年に新たな庁舎(写真)が完成し移転(場所は少し移りましたが同じ松原市上田6丁目)しています。
 この庁舎には通算8年間勤務しましたが、近鉄南大阪線河内松原駅から徒歩5~6分の比較的駅から近く通勤に便利な場所です。近くにはうどん屋さん、パン屋さん、イズミヤさんなどがあり昼休みに利用させてもらいました。また、駅周辺には、立ち飲み屋を含め飲食店も多くありアフターファイブにも便利な場所でした。
 南部下水の所管は大和川以南の大和川下流流域下水道と南大阪湾岸流域下水道ですが、昭和63年度から平成19年度までの20年間はそれまでの南大阪湾岸出張所(貝塚市港)が南大阪湾岸流域下水道事務所(湾岸下水)となり、南大阪湾岸流域下水道を所管していました。平成20年度に湾岸下水が南部下水に統廃合され、新南部下水として貝塚の庁舎(湾岸下水)に移り、現在に至っています。30数年間設置されていた松原の庁舎については、貝塚への移転に伴い翌年に撤去されています。現在は、駐車場としていた場所はコンビニとなり、当時の面影はなくなっています。
 南部下水の現庁舎も建築から30年ほどが経過しており、今後老朽化や情勢の変化に応じてその姿は変わっていくのかもしれません。


南部流域下水道事務所(昭和50年10月~平成20年3月)
 


水環境保全センター   長谷川 明巧
 
     
 平成30年度当会代表を仰せつかった長谷川です。大阪府を定年退職して2年目、よろしくお願いします。

 大阪府の流域下水道は、平成27(2015)年度に50周年を迎え、当会の活動として『明日に向けて贈る100のメッセージ』をまとめている。当時現職であったためこれに寄稿することができなかった。そこで、私なりに記憶の範囲で形にしておきたい。思い出は種々あり、このコラム欄を少しずつ使わせていただく。
 “水みらいセンター”は、大阪府流域下水道の下水処理施設の名称である。法的には「終末処理場」で定義されているが、全国的にその呼び名は様々である。早く事業を始めた大阪市などは「下水処理場」と称し、これが一般的に使われている。恐らくは「し尿処理場」と区別して表示したものと思われる。 府は長らく「処理場」を使っていたが、流域下水道事業着手40周年を記念して、嫌悪施設から脱却し府民に親しまれるようにと、平成17年度に一般公募をして現在の呼び名に決められた。
 その前に「水環境保全センター」が、一時期使われていたのをご記憶だろうか。今の「なわて」と「竜華」の以前の名称であり、なわて水みらいセンターを都市計画決定する時に初めて使った。私は下水道課計画係主査としてこの都市計画決定に携わったので、その経緯について述べておく。
 平成5年度に日本下水道事業団から復職し、特命を受けたのが寝屋川北部流域下水道の第二処理場の都市計画決定であった。既に概略検討が進められ、いよいよ具体化を図る段階。この構想の発案者は、四條畷市出向から戻られていた高橋主幹(当時)である。寝屋川市と四條畷市にまたがる大規模な市街化調整区域に構想されていた区画整理事業(NS地区)が思うように進んでおらず、また地区内には牧場(牛・豚)もあり環境面での課題となっていた。その地区に目を付けられたのである。
 一方、私が計画係担当の時に鴻池処理場の西側施設の拡張を都市計画決定(昭和62年)したが、まだ処理能力が不足すると見込まれていた。また、21コスモス計画のもとに、高度処理や合流改善が新たな課題となっていた。それらを一気の前進させる切り札が、なわて水みらいセンターだった。上流域の分流区域の汚水を集約し(分合流切り離し)、本格的な高度処理を導入する。処理場の区域に牧場も取り込む、これは今池処理場の経験が生きた。
 私が担当して2か年で都市計画決定という目標があり、まず地元の四条畷市と寝屋川市の同意を得ることであった。両市とも下水道担当部局は協力的で首長までスムーズに了承を得ることができた。ただ、寝屋川市の都市計画部局は、区画整理事業の支障になるのではと懸念を示されていた。
その後の経過は、本格的な環境アセスメントの実施、地元対応などいろいろ思い出はあるが、長くなるので名称の話に戻る。
 都市計画決定の図書を作るまでは、新処理場/第二処理場としていたが、いよいよ都市決定手続きに入る段になり、名称をどうするか議論した。先ず初めに過去の事例を調べたが、流域毎にバラバラなのに改めて驚いた。幹線も同様で漢数字にローマ数字、ローマ字が使われ、当初の計画図書など調べても理由はわからなかった。
 寝屋川流域では、処理場、ポンプ場はその所在地の代表的な字名が採用されていたようだ。ただ、新池島ポンプ場の最初の名前は四条だったが、事業化にあたって地元から字は新池島だと要望があり名称変更した事例もある。
 新処理場が、四條畷市域にあることから、先ず地元市にご意見を伺った。所在地の字は「砂」であったが、四條畷の愛称である「畷」を親しみやすくひらがなで「なわて」とする提案をいただいた。併せて、「処理場」は使わないで欲しいと要望があった。
 そこで下水道統計で全国調査し、処理場以外で「浄化センター」が圧倒的に多く、クリーンセンターや浄水苑というのもあった。別途新たな名称として、この処理場の特徴が「高度処理」と「汚泥は鴻池処理場に送り処理」であることから、水に特化した「水環境保全センター」を造語した。下水道課内で複数の案を議論して、少し名前が長い、堅いとの意見もあったが最終的に「なわて水環境保全センター」に決定した。
 その後、寝屋川南部流域下水道の「竜華水環境保全センター」が都市計画された。「竜華」は、地元の字では「龍華」(旧渋川郡龍華村由来)と表記するが、かつて国鉄の竜華操車場があったことから、区画整理事業同様にその名前をとったものである。
 他の処理場も名称変更するのか?との質問もあったが、「既存の処理場は長年地域に馴染んだ名前でもあるので変更する気は無い」と答えていたものであった。
 結果的には「水環境保全センター」は、「水みらいセンター」に変わるまで10年程使われただけだった。
 日本で最初の近代的な処理場である東京都の三河島水再生センターは、当初は「汚水処分場」と呼ばれ、次に「下水処理場」、さらに「処理場」に改称され長年使われてきたが、平成15年に名称募集されて現在の「再生センター」になっている。
 名前は時代の要請に変わっていくが、下水道が市民に愛され施設であって欲しい。
 



東部流域下水道事務所開設50周年イベントに参加して

 記念講演の中で、草創期の話を聴きながら懐かしく当時に想いを馳せていた。
 意見交換では、日頃関心を持っている継続的な維持管理の実践状況を聞いた。
 そして維持管理報告書(年報)があることを知った。府政情報センターに赴き、運転管理データを重点に纏めた平成24年度版を閲覧して流域下水道事業の稼働状況がわかった。
 計画的な維持管理とは、運転管理と保全管理が両輪と考える。運転時間・定期点検・事故故障等 保全管理データを活用する実践状況はどうなのかなと思った。維持管理はしっかりした日常管理があって非常時管理につながるものだと思う。
 そしてもう1つ、講演で建設現場の安全パトロール実践が大事との話があった。維持管理の実践においても日常の現場パトロール(視る・触れる・聴く・嗅ぐ)が原点で大事なことだと思った。
 50周年イベントに参加して改めて思った。地道な維持管理の実践がベースとなり「活き活き・大阪府流域下水道」として展開されることに期待したい。
                              平成26年12月7日
                                柴田高男
 


東部下水50年の中での8年と独り言   山本 正(記念講演の抜粋です)

府民・市民参加型の下水道施設空間活用への期待 (提案)
・土木事務所では市町村と連携した地域プラットホーム事業の推進。
(都市基盤施設維持管理計画による施設の長寿命化の情報共有と技術力向上をめざし今年度3から4カ所でモデル事業実施予定→議会答弁より。)
・安威川ダムでは地域プラットホーム事業(安威川ダムファンクラブ)として府民自立型ワークショップでダムサイトの活用、周辺の活性化や清掃活動や環境教育等の実施を目標にスタート。(11/16安威川フェスティバルを実施。地元6地区と府、市、学校、NPOで約500人参加)。企画Gが担当だが安威川ダムの技術提案に基づき、工事期間内はJVが支援(資金面と場所。コーディネーターは近大の教授)
・泉佐野丘陵緑地では環境に配慮した府民参画(地元住民及び企業等)型公園整備
・今年度策定予定の地震防災アクションプランでも市町村との連携とボランティアの確保及びコーディネート力アップ等スキルアップ向上(中間答申)
・その他道路・河川・砂防ボランティアでは清掃、出前講座の他、橋梁点検、道路・河川・砂防施設点検やハザードマップの作成、急傾斜地の調査等実施。(津波S・ダム交流Sの常駐)
●下水の現状は出前講座、体験田、野鳥観察程度・・・・寂しい。
(施設及び整備点検・剪定・MCの一斉清掃・下水道啓発活動・・・OBからの技術の伝承は?)
◎提案→H27事務所の移転に合わし、川俣MCの空間活用し地域住民を巻き込んだプラットホームの構築ができないか(当初はコーディネータを捜し各団体が参加しやすい雰囲気作り)

 事務所が移転すれば、ここを拠点にいろんな活動ができる。これは私案であるが府の課題に対する、地域の協力、知己の課題に対する場所提供。我々下水道ボランティア等の技術の伝承等が発揮できる。敷いては下水道維持管理費の低減。何とかあの4haを超す巨大空間を活用して、プラットホームづくりを提案したい(上の表にて参照)。担当グループは大変だが、適任のコーディネーターを探し、当面は弁当持ちで対応すれば可能。ぜひ、河川下水道公園にもないプラットホームを構築を検討してもらいたい。

※地域プラットホームとは
 地域課題の解決に向けて、地域に暮らす住民自らが積極的にかかわり、それぞれが得意とするネットワークや知恵を活かしながら、地域の理想の将来像を考える話し合いの場(プラットホームの定義は基本的には諸課題解決の議論の場。中小企業支援の連合体、複雑な行政課題に対する官民協働の体制つくり、街づくり等多岐に使われている。)

(編集部註)紙面の都合上、講演の一部を掲載しました。



東部流域下水道事務所開設50年に寄せて   手島 文隆(記念講演の抜粋です)

・1度目 S40年度~S46年度
・2度目 H元年度~H4年度 に勤務
○所長&職員にお声かけを感謝
○年寄りは話す機会が無くなっている
○3S+ワンの生活→そうか そうそうそう そんでな~ + そんなことない

〔S40年度~S46年度頃〕
1.開設時の庁舎
●広域下水道建設事務所と云った。
①注・下水道は市町村業務だった。②建設(管理はしない)を担当。③管理は事務組合へ。
●3課(庶務・設計・工務)でスタート。①庁舎はなく(庶務=本庁、設計・工務は中央環状線建設事務所の敷地内に資材倉庫用の簡易プレハブを建てた。丸木杭の上に乗っかっていたので、床下からの吹上が強く寒かった。注・床板は木製コンクリート型枠だった)②中央環状線建設事務所は→現在の京阪電車門真駅の南側ロータリーである。③7月?に新庁舎(下の写真右/昭和 41年)が竣工、全員が落ち着いた。
 ←簡易庁舎(こんなんだった
2.発注(設計)業務
●S40頃とは、大阪府人口665万人(S30年→461万人 H26年886万人)だった。都市部への人口流入が凄かった頃で、何か狂ったような?勢いがあった。
●①初年度予算→18億円だった(土木部予算=317億円) ②年度内に、大日交差点から第一寝屋川までの間、下水道が中央環状線工事に先行して完成する必要があった。③したがって、年度内竣工の可能な1工区≒1億円を目処に積算1000万円/月の出来高)した。④寒く、トイレも水道もない、プレハブ庁舎(風避けに新聞紙等を敷いた)で連休明けまで頑張った。⑤チーフは枡本さんだったが、1位代価表から積み上げた。用紙は中環から分けてもらったが「なくなる」との苦情もあった。⑥狂った“ゆけゆけ”の世相やったか。

3.勉強会
●年度が改まると少しづつ余裕がでてきて“勉強”を始めた。
●①就業後から出来の良い職員が2時間くらい“施設基準”なんかを解説した。②そのうち、皆がおこずかいを出し合い、これを資金に外部講師お願いした。③福家さん(本庁・下水道課管理係長=都市計画法と下水道法の関係)*木村さん(本庁・下水道課計画係長=公害国会と下水道の関係)*北井さん(本庁・下水道課事業係長=広域下水道と河川計画の整合→寝屋川の計画・緩流河川の治水論536ton案から1350ton案へ)*川島先生(大阪工大・下水道における汚泥の処理処分の重要性)*山田先生(京都大学・下水道の高効率な管渠計画)等々だった・・・と記憶する。お礼は“安物のパーカー万年筆”一本だった。今でも先生方に感謝だ。
〔H元年度~H4年度頃〕
1.庁舎(事務所)移転(略)
2.想定外と失敗(略)
3.安全パトロール(略)
その他 (略)
(以上は手島さんの講演デジュメに要旨をメモしていただきました)
<終えての感想>
・若い職員に“時代”を理解して貰えただろうか? 我々が“戦前の昭和”を聞かされたような感ではなかったろうか? 反省しきり!
(26年12月1日手島様から原稿入手)
 
大阪で開催・下水道展  司馬鷹

 8年振りの大阪での開催、日本発!くらしを支える底力がテーマの「下水道展」、 大阪府下水道ボランティアに日本下水道協会からパブリックゾーン運営への協力の要請があった。との知らせが届いた。
 スイスイ下水道研究所コーナーで親子連れを中心に下水道への理解を深めてもらう広報活動をサポートすることのようだ。
 下水道展パンフレットを見て気付いたことは岩手県が積極的に参加されていること。
 そして、今「大阪府流域下水道の50年のあゆみ」を考えながら一抹の寂しさを感じている。
 折角の機会なのでボランティアとして会期中の一日参加するつもりでいる。どんな風が吹いているか楽しみでもある。
                 平成26年7月2日 司馬鷹
 
梅雨・雑感 司馬鷹


 平成26年度も早や2ヶ月が過ぎました。
 この頃の出来事の中から下水道に関わることを記きました。
 1つ目は大阪府都市整備部において都市基盤施設維持管理技術審議会(平成25年11月)が設置され、現在審議途上でありますが下水道等部会の議事録から維持管理の実態がうかがえます。(傍聴の機会あります)
 2つ目は大阪府下水道のホームページを時々開いていますがあまり変化なしです。社会経済情勢の変化に対応した「大阪府流域下水道新施策」の視覚化がほしいものです。(期待してます)
 3つ目は国交省において下水道政策研究委員会(平成25年10月)が設置され「仮称・新下水道ビジョン」の案が纏まり、一般の意見を募集しています(6月23日迄) (この機会に意見を述べてはどうでしょう)
 下水道OBとして関心をもって視ていきたいと思っています。
                    平成26年6月16日 司馬鷹